イギリスで働く~ギリホリがプロフェッショナルを目指して~

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みなさんこんにちは!

かなり温かくなってきましたね!

娘②の慣らし保育も本格化し、今日は午後3時まで余裕のある林檎堂です。

今日は褒め活は休憩して、私がワーホリで30歳ギリギリの最中、イギリスで働いた時のことを、シェアしたいなと。

今はコロナで海外渡航はかなり制限されているかと思いますが、いつかこれが収まった時、ワーホリに行きたい人に参考にしてもらいたい、記事を書こうと思います。

ワーキングホリデーとは

日本人って、実は最強のパスポートを持ってるって知っていましたか?

日本人にとって赤、もしくは紺のあのパスポート、実は世界でも1,2を争う、「どこにでも行ける券」なんです!

191か国!!

ビザなしで入国できる国の数です。2020年1月時点では1位でした!

これは世界情勢などで、前後するので、今2021年時点ではどうなっているのか、不明ですが、それでも1位や2位や下がっても3位!

これってすごいですよね!

日本を出てみると、日本の良さがわかるといいますが、それは道やトイレがきれいなだけではないんですよね。信頼度が半端ないんです。

イギリスでアパートを探すのに、途方に暮れていましたが、日本人だからいいよと、イタリア人のシェアハウスのオーナーに言わしめたほどです笑(後述参照)

ちょっと脱線しましたが、日本のパスポートを持っているだけで、191か国には、なんの手続きもなく、観光をすることができるわけなんですが、ただし!

働くこと、学校に行くことは、できません。

(学校は観光ビザで入れるものもあります)

ワーキングホリデービザ(以後ワーホリ)は20代の若者に海外で働いたり学校に行ったり自由にいろいろな経験を積むことができるように、各国との提携を組んで行われている事業です。

特に私のように、看護師や保育士、美容師などの資格を持っている人は日本に帰ってからの就職にあまり苦労しないので、多く利用していたように思います。

学校に行こうが、旅をしようが、働こうが、何をしようが自由!

(学生ビザでは、学校に行かないとビザをはく奪されるので強制送還もありえます!)

こんな素晴らしいビザは利用しないと損!

と、いうわけで、私は24歳でオーストラリアへ、29歳でイギリスへ行くこととなりました。

イギリスで働くということ

オーストラリアではまず1か月だけ学校に入り、友達を作ったり、地盤を固める作業をしました。海外で暮らすには、日本にいれば当たり前に持っている、住所、銀行、信用などを獲得していなければ、働くということはかなりハードルが高くなります。

向こうにお友達がいたり、日本食レストランや日本企業など、日本語が話せて日本人的な儀礼を持った人であれば、割と簡単に働きだすことはできますが、それでも銀行口座と住所は必須です。

オーストラリアでは学校の寮に入ったので、住所をクリアしたことで銀行口座も簡単に開設できました。

しかし!イギリスでは学校へは行かず、とりあえず、ホテルに泊まってフラット(イギリスやオーストラリアではアパートのことをフラットといいます。私の場合はフラットをさらに分割して住むシェアハウスを探していました)を探し、銀行を開けて、仕事をゆっくり探そうかなと、軽く考えていたので、苦労することになりました。

仕事をしていなければ、フラットに住む信用がない→住所がなければ銀行が開設できない→銀行がなければ仕事を始められない

という、魔のスパイラルへ!

しかし、それはGUMtreeという、海外で利用されているクラシファイドサイトで出会った、イタリア人のシェアハウスオーナーに、「日本人なら信用できるから」という理由で仕事も銀行もない状態で住まわせてもらうことができたので、なんとかクリアしました。

その人はイタリア人でめちゃくちゃ男前のゲイの方でした。その方の彼氏、お友達のゲイのスペイン人、ノンケのスペイン人男性と日本人の私の5人で住んでいました。リビングがないおうちだったので、結局みんなとはそこまで交流することもなく、終了しましたが、いまだに感謝しています。

そこから仕事探しでしたが、イギリスはEU各国をはじめ、外国人が多く住む国ですので、仕事を探すにもいろいろと厳しい条件がありました。

オーストラリアも今はかなり厳しくなっているようですが、当時10年近く前、オーストラリアとイギリスしか知らない私には、イギリスはなんて外国人に厳しいんだ!と絶望したものです。

英語はある程度話せたので、すぐに病院関係で働くことを希望していましたが、無犯罪者証明や、保証人の確保など、ハードルがとにかく高かったのです。

まあ無理なら仕方がないと、日本食レストランに就職(アルバイトではなく正社員という形でした)そこで3か月働き、信用を獲得、そこのマネージャーに保証人になってもらうことで、病院で働くための地盤をかためました。

まず働きだしたのはロンドンの看護師看護助手派遣会社。

この会社はカタール政府と提携し、カタール人でカタールでは治療が困難と考えられた人がロンドンの病院で治療する際、24時間患者の世話をする人が必要ということで、看護師や看護助手を派遣していました。(さすが石油大国!笑)

つまり、ロンドンの病院に入院しているけれど、病室に一人メイドのような人を置いているというイメージです。

患者の状態によっては看護師(イギリスの資格を持った看護師)が派遣されますがそこまで重症度の高くない人には看護助手(無資格者)が派遣されていました。

私は日本の看護師資格しか持ってないので、無資格の看護助手として派遣されていました。

患者は英語も、もちろん日本語も話せないので、アラビア語もがんばって勉強し、挨拶や簡単な意思表示はできるようになり、結局1年弱は働いたかと思います。

そのあとはボーンマスというロンドンから2、3時間ほどの距離にあり、バスで行ける小さな海岸の町に住み、ここでも看護助手派遣会社に登録し、その時々で職員が足りない介護施設などに派遣されて働き、やっとこてこてのイギリス人のおじいさんおばあさんのお世話をするようになりました。

日本の病院や施設とは全く違うシステムを目の当たりにし、本当にいろいろと勉強になった一年でした。

これは10年も前の話なので、今これだけネットが活用されているので、絶対準備していった方がいいな!と思うことは、

向こうに何人か頼れる友達を作っておく。

英語はできればできるほど良い。(進学や資格取得を考えているならIELTSという英語の試験は受けておいた方がいい!看護師資格の取得を目指すなら日本でオールオーバー7をとっていくことを目標にしましょう!めちゃむずです!)

日本で働いていた会社やバイト先に話しておいて、保証人になってもらう。(英語のメールが来るかもしれないことを伝えておき、なんならどう返信してほしいかも伝えておく)

とにかく物価が高いので、3か月くらいは働かなくても生きていけるくらいのお金は貯めていけばあまりあせらず仕事が探せるかと。

以上が私が後悔した点です。

もちろん友達は何人かいましたが、そこまでがっつり頼るのは申し訳なかったので、準備をしておくのは大事だなと思います。

特にIELTSの試験は、イギリスで看護師の資格を取ろうと思っていたわけではなかったので、全く調べずにいたので、あの時に戻れるなら、日本で先にある程度勉強して、テクニックを身に着けておいて、イギリスに行けばよかったなと思いました。

普通の人がオールオーバー7を取ろうと思うと、2年くらいはみっちり勉強しないといけないので、それでビザの期限が終わってしまうからです。

早くコロナが収まって、今の若者が、もう一度自由に学べるワーホリを再開できることを祈っています!

ロンドンで担当した最高に素敵なババ(アラビア語でお父さん)でした!

元気かなー!

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